学生のときがいかに特別だったのかを、栄口は近頃これでもかというほど思い知らされている。 何をせずとも傍に居られた。理由なんてなくただ楽しいから傍に居て、同じ授業なら一緒に受けそれが当然のことだと思っていたのだ。 このままずっと自分たちはこんな関係を続けていくのだと思っていた。それならこの想いを伝えずとも満足出来ると自分自身に言い聞かせていたというのに。 『今日の夜暇?』 朝、簡単すぎるメールを送ってみれば、今まで数分後には送られてきていたメールは昼過ぎになってようやく返信のメールが来た。 返信されてきたメールはいかにも水谷らしく、栄口の頬を緩ませるのには十分だったが最後の内容はガックリと肩を落とさせるもの。 『飲み会あって無理だぁ〜。ごめん、また誘って』 水谷が悪いわけじゃないとは分っているものの、社会人になってからというもの水谷と会う機会は格段に減った。 自分の仕事が忙しいせいでもあるのだが、今まで当然のように会えていた水谷に会えないことで栄口は近頃苛立っていた。 仕事をしなきゃいけないのは当然で、それで生活していかなければならないのだから自分だって仕事を優先するが。 (誘う度に毎回飲み会ってなんなんだよ!) 苛立ちを隠そうと自分を押さえながらも、険しい目つきの栄口に誰も近付くことはなく。 返信をせずに携帯を閉じた栄口は、パソコンに向き直りガタガタとうるさいほどの音を立てながら仕事をこなしていく。 平静を装いながら仕事をこなそうとする栄口は不気味で、のちに栄口を怒らせるなという暗黙の了解が生まれたが、そんなことを栄口が知るはずもなく。 苛立ちのおかげか、周囲に話しかけられなかったおかげか。その日栄口は定時きっかりに鞄を持ち立ち上がったのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 仕事が定時に終わったからと言ってすぐ家に帰るのはもったいないよなと考えながら会社を出ようとして、後ろからとんとんっと肩を叩かれて振り返り栄口は唖然とした。 にへらと笑うその顔にいつもなら力が抜けるのだが、今はただただ目の前にいる人物を見ることしかできず、声が出てこない。 「栄口?あれ、どうしたの?」 「…どうした、って。水谷こそ、どうしたの、今日は飲み会だ、って」 「あ〜それね。断ってきた」 「へっ!?」 「だって栄口断ったら返信くんないし、怒っちゃったのかな〜って思ったから皆に謝って飲み会のお金だけ払って栄口んとこ来たんだからな。で、怒ってる?」 「怒ってる、って…いや、別に」 水谷が現れた時点で、栄口の半日続いてきた苛立ちなんてどこかへ飛んで行ってしまった。 首を横に振れば、安心したかのように水谷は栄口の隣を当然のように歩き始めた。 その場所に水谷がいることが落ち着く。傍に居ることが当然のように入り込んでしまっている水谷という存在に、栄口はいつも以上の笑みを浮かべる。 その笑みは社内では決して浮かべないもので、なにを言わずとも栄口にとって水谷という存在がが特別だということを周囲へ知らしめるには十分だった。 「ねぇねぇ、どっか飲みいく?それとも栄口んち?あ、うちでも良いんだけど」 「じゃあオレの家でも良い?近いしさ」 「もっちろん!久々だね栄口んち」 ニコニコと笑う水谷を見ながら、栄口は汗ばんでいる手を隠すように鞄を持ちかえた。 不自然じゃないだろうかと思いながらも水谷の横顔を見ようとすれば、ばっちりと目が合った。 瞬間カァと熱くなる頬に、良いのか悪いのか水谷は全くと言っていいほど気付かない。気付かずにいてくれたからこそ、今まで友人としてこうして付き合ってこれたのだが。 「なんか買ってくものある?」 「…いや、多分大丈夫。簡単なものしか作れないけどそれでも良い?」 「作ってくれんの!?やったぁ、久々の手料理〜」 「久々、って自分で作りなよ…」 「だってさぁ、誰かが居るならともかく、自分一人のために作る自分って寂しくない?」 「悪かったなぁ、オレは一人で作ってるよ」 「いや栄口はそれで良いんだよ、むしろオレが毎日食べに行きたいくらいで」 栄口の料理は美味しいもんなぁと思い出に浸りながら、水谷は栄口の方へと向こうとして横を向けば居るはずの栄口が隣におらず慌てて振り返る。 振り返れば、立ち止まった栄口が水谷の方を恨めしそうに見ているものだから、何かしただろうかと慌てればズカズカと栄口が近付いてくる。 謝った方が良いのだろうかと考えながらも思い当たる節のない水谷はギュウと目を瞑った。 昔っから栄口が怒るタイミングが掴めないのだ、怒るだろうかと不安になる部分では笑っているのに、何気ない一言で栄口はいつだって水谷に対して怒る。 結局怒られた原因が分らないまま水谷はその場で謝るのだが、栄口も最終的に「水谷が悪いわけじゃない」と言うものだからいつだって水谷は頭を傾げるばかり。 今日もまたそうだろうか、と瞑ったままでいると何も起こらない。うっすらと片目を開ければ、目の前にいる栄口はぎゅうと水谷の手を握った。 「な、なんですか、栄口さん…?」 「約束」 「え?」 「水谷が暇なときはオレんちに来ること。したら料理作るから」 「…えっ!?」 「食べたいんだろ、だったら来れば良いじゃん。オレだって一人でご飯食べるよりも誰かと食べたほうが楽しいし」 「いや、オレは嬉しいけどさ……良いの?」 「嫌だったら誘ってない。で、どうなの?」 「すっごい嬉しい!!あーもうそんなこと言われたら入り浸るからね。迷惑になっても知んないから」 「迷惑になんてならないよ、水谷だったらね」 にこりと笑った栄口の表情があまりにも綺麗で。 男に対して綺麗だと思ったことがなんだか気恥かしくて慌てて頭を振った水谷の行動を見ながら笑う栄口に、水谷もまた笑った。 握られたままの手は離されることなくそのまま握られたまま。手をつなぐことなんて高校以来で、それがなんだか嬉しくて。 水谷もぎゅうと握り返せば栄口が驚いたような表情を見せるから面白くて、水谷は栄口の家に着くまでずっとその手を離さなかった。 そうしてその後、言葉通り入り浸った水谷の物が栄口の家に増えていったのは二人だけの秘密。 水谷が持っているキーケースに増えた一本の鍵は、幸せの道へと続いている大切な大切な鍵。 (2010.1.2//フミエイさん、お誕生日おめでとうございます!!) |